私の存在意義
最近職場で、「意見を求められているようで、私の思いを求めているわけではない」と感じることが多々ある。
「どう思いますか?」と聞かれて
「私はこう思う」「こうした方がいいと思う」「こう感じる」と
言った場合、高確率で
「でも」「というか」「だけど」
と反論の形を取り、しかしそのあとの話は私の意見とほぼ同じであったり、
「私は…」と言いかけた段階で「そういえばさ!こういうときは…」と遮られたり、
意見を述べ終わった後に、同じ内容をその人がいっていた言葉で言い直されたりする。
違う意見も、同調の意見も、感想すらも、「その人の言葉で」「その人が言ってほしい、またはいっていた内容を」言わない限り
「そうだね」
とは言われない。
「私の言葉」を求めているのではない。
「その人の言葉」を求めているのだ。
「わたしという存在」を求めているのではない。
「その人にとって都合のいいことを言い、都合のよい方向によく気がつき、都合のいい行動をし、仕事は決してミスをしない」存在を求めているのだ。
なぜこんなことに気がつかなかったのだろう。
ひとは言いたいことしか言わないししたいことしかしない。
都合のいいひとはいい人で都合の悪いひとは悪い人だ。
その場でうまくやっていくなら、その人にとって都合のいいひとになるしかない。
少なくとも人間関係上は。
仕事の面で「これはできます」「これはこういう都合で、もしくはこの人の仕事なので、できません。」ということは必要だが、
会話の上では都合のいいひとに徹しよう。
その人が言ってほしいこと、してほしいことを察知できるようにしよう。
わたしがその場で生きていくには、それしかないのだから。
久々にだめでした
こんにちは。
きょうは久々にダメな日で、職場から帰ってきました。
朝はよかったのですが、昼休み終わってからちょっとしたことを指摘されたのを
きっかけに、前の部署で係長に微に入り細を穿って指摘されていたのを
思い出してしまい、
「なぜこんなにだめなんだろう」という自己肯定感の低さから不安に襲われ、
なにも手につかなくなり、なにもしなくても恐ろしいことが起こる予感がして、
帰ってきてしまいました。
同僚に一つ仕事をお願いしてしまった。明日お礼しなくちゃ。
不安や倦怠感の症状で早退や遅刻をするのは今夏は初だと思います。
2年前の夏は1周間に一回は遅刻や早退をして、職場でも保健室でちょくちょく
休ませてもらっていた記憶があるので、2年前よりかはかなり良くなったと思う。
あれから甲状腺の薬を増やして、統合失調症の薬も自分にあったものを最低量で
安定させて、かなり夏場も改善したと思います。
薬を飲んでいても発作が出るときは出るので、そういうときはムリしないのが
一番。
お盆休みから仕事モードにうまく切り替わらなくて体と心がびっくりしたんでしょう。
あと、今回はお盆休み中に薬をちょっとさぼってた・・・かな・・・。
薬をちゃんと飲んで、今日はゆっくり休んで明日出勤します!